結論
小説や映画などで使われる技法のひとつで、物語の「語り手」の信頼性をあえて低くすることによって、読者(視聴者)を惑わせるというものです。
由来
この用語は、1961年にアメリカの文芸評論家ウェイン・ブースが著書『フィクションの修辞学』の中で、語り手に関する議論関して「一人称の語り手は信頼できない語り手である」という論を提示したことがきっかけで生まれた。
小説であれ、映画であれ、全ての語り手は、知識や知覚の限界があることから信頼できないことは想像しやすい。
イメージが湧きにくいと思われるのでまずは以下の文章を見てほしい。
そろそろ彼女と結婚しようと考えている。
仕事の関係で同棲はしていないがもう2年以上付き合っていて、週末は必ず二人きりで会って熱い時間を過ごす。
彼女も今の仕事をやめたいと言っているし、俺とずっと一緒にいたいと言ってくれている。
・・・会いたくなってきたな。
我慢できず俺は電話をかけた。
「お電話ありがとうございます!デリバリーヘルス ジュリアンでございます!」
・・・
冒頭の「彼女と結婚しようと考えている」という言葉もあり、読み手は「彼女」が「俺」と結婚を前提に真剣に考えている(=両思い)であると想像する。
だが実際には「彼女」は風俗嬢で、「俺」は毎週特定の女性を指名して遊んでもらっている客に過ぎなかったのだ。
特に以下の部分は、意図的ではないにせよ読者を勘違いさせており、再度見直すと印象が変わってくる。
・「週末は必ず二人きりで会って熱い時間を過ごす」=「俺」が、毎週客として女の子を指名している。
・「俺とずっと一緒にいたいと言ってくれている」=女の子側のまた指名してもらえるための営業トーク
このような、語り方の認知のゆがみや不正確さによって、読み手を混乱させる語り手(手法)が「信頼できない語り手」である。
「信頼できない語り手」の分類 ※一部ネタバレ注意
「信頼できない語り手」は、必ずしも読者(視聴者)を騙そうとしているわけではないという部分が注意点だ。
大きく分類すると以下2種類になる。
①悪意の語り手
明確に読者や視聴者を騙す目的で、悪意や意図を持って事実の切り取りや曖昧な表現をする語り手。
②善意の語り手
読者を騙そうという気持ちはないが、偏見や妄想・認知のゆがみなどのせいで、結果として読み手のミスリードを誘う語り手。
悪意の語り手の例
アガサ・クリスティのミステリー小説「アクロイド殺し」が有名。
語り手の書いた手記という形式になっているが、なんと探偵ポアロと行動を共にする語り手自身が犯人だったというトリックが成り立っている。
確かに語り手の手記の内容に嘘はなかったが、殺人を犯した決定的な瞬間は曖昧に書いている。
発表当時(1926年)には、こうしたトリック(叙述トリック)は、フェアかアンフェアで大議論が巻き起こったが、現在ではよく用いられている。
善意の語り手の例
最近だと映画「ジョーカー」が有名。
主人公のアーサー・フレックの視点で物語が進行するが、途中でアーサーが体験した出来事の一部が妄想であったことが明らかになる。
物語終盤は、アーサーが精神病院に収容され、ますます事実と妄想の境界線が曖昧になったまま終わる。
さらに細かい分類
ウィリアム・リガンによる1981年の研究で、彼は信頼できない語り手について次のような分類を行った。
悪党(Pícaro)
誇張や自慢の激しい語り手。
狂人(Madman)
統合失調症など重度のパーソナリティ障害に陥っている語り手。自我が不安に陥るのを防ぐために感情を抑圧するなどの防衛機制を働かせているだけの語り手も含まれる。
道化(Clow)
自分の語りを真剣に受け止めず、対話や真実といったものを意識的にもてあそび、読者の期待を翻弄する語り手。
世間知らず(Naïf)
子供などものごとの認知が未熟な語り手や、ものごとの認知に限界のある視点に立つ語り手などである。
嘘つき(Liar)
健全な認知力をもつ人物だが、自分に非のある行動をあいまいにするため、わざと事実を曲げて語る語り手。